今日もランクル日和

40代からはじめる素敵なランクル生活

無駄を愉しむ


クルマいじり趣味なんてほとんどが無駄なことである。

私は、福野礼一郎氏の書籍が好きで度々読んでいる。「クルマはかくして作られる」シリーズなど、綿密な取材と優れた考察は非常に面白い。福野氏が素晴らしいのは、常に勉強し続けて膨大な知識をお持ちであり、さらに実践され確認をされていること。現場で働いているプロの方々に尊敬の念を抱きながらも鵜呑みにしないところだ。

クルマはかくして作られる―いかにして自動車の部品は設計され生産されているのか (別冊CG)

クルマはかくして作られる―いかにして自動車の部品は設計され生産されているのか (別冊CG)

 

福野氏の書籍を読めば、現在のクルマは恐ろしく細部まで計算されつくされたモノであることが分かる。クルマを移動手段と考えると、安価なコンパクトカーを新車で購入して、定期点検を受けて、然るべき消耗品を交換していれば、安心のカーライフをおくることができるだろう。

純正品を社外品に変えることなど、もってのほかだ。よく見かけるタイヤのサイズを変えたり、ホイールを変えることにも意味がない。というか純正のサイズでサスペンションは設計されているから、バランスを崩すだけなのだ。星の数ほどある添加ケミカルも不要(深刻な副作用も多い)だ。オカルトグッズのたぐいは宗教的で、クルマには全く効果はないけど、心理的安心が欲しい人が買えばよい。


コストパフォーマンスを考えても新車を買うのがベストだろう。中古車を選ぶのはスキルが必要だ。あれこれ部品調達に悩んだり、日々の劣化に心配する必要もない。

しかし、人の心は複雑だ。好きなモノ嫌いなモノがある。不便な古いクルマだけど、
乗っていて気持ちよかったり、形がカッコいいと思うのだ。

こういうことは数値化できない。クルマをつくっている方々は、常に良いモノを求めて改良し続ける。世間的・環境的には優れたモノであるけど、それが欲しくなるとは限らないのだ。


そもそもランクルなんて、アフリカやオーストラリアなどの極地で使われるために、設計されたクルマであり、日本の街乗りに使うことがオーバークオリティで無駄なのだ。

しかしその無駄を愉しんでいる。

延命させるために、部品を探したり、長期的なメンテナンス計画をたてたり、地道に部品をキレイにしたり、もちろん消耗品も交換したり、突然の故障にも対応したり、資料を集めたり、情報交換したり、丁寧な操作を心がけたり、毎日眺めてニヤニヤしながら熱意を維持しているのだ。

社外品は意味ないし害になることもある。

でも・・・やっぱり便利なモノも欲しいからと社外電装品をつけるし、輸出仕様のタイヤサイズはカッコいいし、定番のブラッドレーは正義だと思うし、カーフィルムは貼っちゃうし、前オーナーがつけたフォグランプは外すことが出来なかったし、他にもリアラダーとかルーフラックとか色々欲しいモノがあるのだ。

それらの無駄をなるべく理論的に考察して、メリット・デメリットを理解した上で愉しむなら、それもアリだと思う。お金や自分の残された時間も使うわけだから、実行するまで、色々と悩むべし。そうやって考えること自体も愉しいのだから。