今日もランクル日和

40代からはじめる素敵なランクル生活

ミニマリストと断捨離


私はミニマリストではない。
ランクルという手の掛かるクルマを所有しているし、時計収集もしているのだ。どちらも自分にとって本当に必要なモノだし、それらを使うことで満たされる。しかしそれらが無くても生きていくことはできる。

ミニマリストではないから、具体的に語ることはない。もちろん否定したいわけでもない。多くのミニマリストブログを読んで、参考になったり実践してみることもあるし、こんな仙人みたいな生活は嫌だなあとスルーすることもある。

正直に言うと、はてなブログで何度も目にするキーワードをタイトルに入れることで、どれだけアクセスがあるか知りたかったのだ。なんとも無粋なネタで申し訳ない。


私のブログは、モノについて偉そうに語っている。
自分なりのこだわりがあり、モノを選択・使用・改造をしている。

自分が気持ちよく使うために思考することが好きだ。あふれかえってるモノの中からベストを探し出し、使えるように加工したり組み合わせる。コアなミニマリストの方々には無駄な行為だと言われそうだけど、私にとっては愉しいことであり大事なことなのだ。

モノを捨てたり、使うモノを最小限にすることで、モノに対する思考も最小限にすることは理解できる。私は小さなアパート暮らしなので、モノを買う量を制限して、定期的に断捨離しないとゴミ屋敷になってしまう。モノのルールを極端にするほどモノが減り、余計なことを考えなくてよくなるのだろう。

ミニマリストは流行りではない。流行にとらわれないライフスタイルという。しかしこれだけ多くのブログや書籍があると言うことは、流行なのだ。流行に乗っかる人もいれば利用する人もいる。

俗世のモノを捨て去り、仏の道に入る。究極のミニマリストと言えるだろう。

モノを放棄すること。モノを愛でること。相反することだけど、どちらも心の安らぎを求めているのだ。モノを愛でるのは手間が掛かる。その手間を負担に感じるか、愉しめるかの差なのだと思う。

人の欲望でモノは進化してきた。こんな便利な生活ができるのは、モノにこだわり続けた結果なのだ。もし皆がミニマリストになりモノを放棄すれば、日本のモノつくりは衰退していく。まあ物欲だらけのオジサン世代が生きているうちは大丈夫だ。あれこれ偉そうに文句だけは言うから、良いモノは残る。オジサンは良いと思ったら買うのだ。

世の中には買う人も必要・・・と言い訳して、今日も欲しいモノを物色するのである。