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読書のすすめ「ユニクロ潜入一年」


日本の平均給与は、平成9年の467万円が最大であり、その後は下降している。正確には平成20年のリーマンショックの後に急下降して、その後は少しづつ上昇している。しかし平成29年は432万円であり、平成9年よりも低いのである。

上記の給与は総平均であり、平成9年は(男子577万円、女子279万円)平成29年は(男子532万円、女子287万円)となる。国税庁webページより抜粋。
https://www.nta.go.jp/

ちなみに国税庁の平均給与の推移グラフは平成9年までしかない。
平均給与|国税庁


経済や数学は苦手なのだが、多くの人は平均給与が意外に高いと思うだろう。分布が左に偏っていて、給与の少ない人が多く、給与が多い人は少ないからなのだ。

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa09/images/2-2a.gif

厚生労働省 平成21年国民生活基礎調査の概況 > 2 所得の分布状況 より転載
(グラフの数値は世帯当たりの年収)


バブル崩壊した1991年から28年間給与はほとんど変わってない、むしろ下がっている人もいるだろう。緩やかな景気回復なんて言われ続けても、庶民にはピンとこないはずだ。

私は就職氷河期世代である。幸い理系で資格も取ったのでなんとか食ってきたけど、若い頃には本当に金がなかった。今で言うブラック企業が多く薄給で労働基準法違反は当たり前だった。

好き勝手生きてきた結果でもあるけど、何度か転職して、今ではなんとか生活できるようになった。まあそれでもアパート暮らしの貧乏サラリーマンには変わりない。


前置きが長くなったが、今回紹介するのはこの本である。

ユニクロ潜入一年

ユニクロ潜入一年

 

 デフレの申し子といわれたユニクロ。フリースブームに始まり、安価で価格の割に品質の高い商品で、成長し続けた。海外の安い労働力と工場直接契約・大量受注によりアパレル業界を破壊し圧倒してきたのだ。

お金のない私はユニクロの愛用者であった。昔は安物ブランドだったユニクロも多くの人が着ることで、国民服となった。もはや他人とカブることも気にすることではない。ユニクロと分かっても誰もなんとも思わない。(一部のブランド信仰者は恥ずかしいと思うのだろうけど)


この本の著者、横田氏の凄いところは、実際に企業に潜入して現場で労働したことを書いているのだ。前作品の「ユニクロ帝国の光の影」を出版したときには、ユニクロに訴えられ裁判になった。ユニクロ(柳井会長)にとっては目の上のたんこぶである著者は、名前を変えてまでユニクロにアルバイトとして潜入する。

こんな作品が面白くないわけがない。話はリアルで説得力ある。消費者には絶対に見えてこないユニクロの闇を暴いている。ユニクロで働いた経験のある人も納得の内容だろう。私の稚拙な解説よりも、この本を読んだほうが手っ取り早い。

今では他の会社も追従しているけど、圧倒的に安い価格は、多くの犠牲の上で成立しているのだ。劣悪な工場で労働力を買い叩く、サービス残業と人海戦術でこなす販売店。他社がマネできない(しない)のは理由がある。

ユニクロの服が売れて潤うのは、上層部と株主なのだ。ユニクロの低階層の給与は安い。製造する人の給与はもっと安い。富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなるのである。

私はユニクロの不買運動がしたいわけではない。ユニクロは接客スキルが高い人も多いので気持ちよく買い物ができる。今でもユニクロで購入しているのだ。最近はコストダウンのためか耐久性が落ちる商品が多くなってるので、ユニクロから他のメーカーに移行してるモノもあるけどね。

どう感じるかは人それぞれだが、事実は知っておいたほうが良い。
一般メディアから得られる情報なんて、スポンサー(ユニクロ)の都合の良い情報だけなのだ。横田氏のような本物のジャーナリストが増えてくれれば良いのだけど、素人でもネット上を丁寧に調べるだけでもある程度のことは分かる。


長い目で見れば、モノを買うのは、その会社への投資でもある。もちろん株の配当金のような直接的な利益はないけど、例えば日本で製造され労働者にもきちんと対価が支払われている会社のモノを買えば、そこに還元されるのだ。1人の力は微々たるものだけど多くの人が、お金の流れを考えるようになれば、庶民にも返ってくるようになるはずだ。

コンプライアンス(企業の法令遵守)が注目されるようになった。個人が知りたいと情報を仕入れることが大事で、それが大きな動きに繋がるのである。

便利なAmazon、安価なユニクロ。どちらも日本人には欠かせないものになった。しかしどちらも日本を苦しめている存在であるとも言える。この本を読んで今一度考えるキッカケになれば幸いである。