今日は、私的な雑談をしようと思う。多くの読者にとっては興味のないことだろう。チラ裏なので適当にスルーしてね。オジサンにもセンチメンタルな時があるのだ。
先日、プチ同窓会行ってきた。
私は同窓会が苦手である。今まで一度も小中高校の同窓会に出席したことはない。だからここ数年はお誘いのハガキすら届かなくなった。行ったこともないから別にどうでもいい。
今回は学校の同窓会ではないのだけど、今でも懇意にさせていただいている方からのお誘いなので断る理由がない。前回集まったのは10年前。メンバーによっては20年くらい会っていなかった。
正直億劫だった。
元々コミュニケーションが苦手な上に、しばらく会ってない人と話すことなんてない。まあ当たり障りのない世話話くらいはできるけど、どんな顔していればいいのかも分からない。40代のオジサンなのになんて情けないのだろう。でも気持ちは操作できないから仕方ないよね。
詳しい会の内容は知らなかった。少し時間ずらしてこっそり顔出して帰れば良いかなと思ってたけど、実際には当時のメンバーが揃っていて逆に恥をかいてしまった。最初から隅にいたほうが目立たなかったのだ。我ながらアホだと思う。
みんな同様に歳をとってオジサン・オバサンになっていたけど、昔と同じ雰囲気で盛り上がっていた。身構えていた自分が馬鹿らしい。積極的に自分から話題を振ることはしなかった。よくよく考えたら私は昔から受け身なのだ。みんなの助けもあり楽しくお話をさせていただいた。
私も20年前は青春真っ只中でした。くすぶるだけで結局何一つ成し遂げることはできなかったけどね。
みんなお父さん・お母さんになっていた。私もそうだ。
子供と楽しそうにしている姿を見ると、急にこみ上げるものがあり視界が滲む。なんてセンチメンタルなんだろう。いかんいかん場違いも甚だしい。
私もこの20年は色々あった。みんなもそれぞれの人生を歩んできたのだ。当たり前だけど、普段他人の人生を意識することなんてない。なるほどこれが同窓会か。
良いことばかりではない。全てを話すことはないけど、みんな日常に忙殺されて生きている。
同窓会は、脳内の古いスイッチが押されるのだ。奥底に眠っていた記憶が甦る。みんなの顔を見たり声を聞くことで、写真では思い出せないことが溢れ出てくるのである。
20年前には分からなかったこと。人はくっついたり離れたりすることを繰り返しながら歳を重ねる。出会いと別れが経験値となり少しづつ成長する。同じことを話しても、昔の自分とは思考も感受性も異なるのだ。
私にはまだ押されていないもっと古いスイッチがある。
もうしばらく押すことはないだろう。
今回のプチ同窓会でもみんなの連絡先を聞くことはしなかった。10~20年連絡をしなかったのだから、これからもすることは多分ない。もう携帯の電話帳は何度も更新して残っていない。でも良いのだ。また10年、20年後に再会することもあるかもしれない。今度は堂々と会えるように、日々の生活、与えられた使命を全うしたいと思う。