今日もランクル日和

40代からはじめる素敵なランクル生活

私とモノづくり【第二話】

売れるモノづくり



自分の物欲を満たすためのモノづくりなら売ることは考えなくてよい。自分が好きな形と欲しい機能を満たし、心ゆくまで時間とお金をつぎ込めば良い。
しかし量産化して他の人にも使ってもらいたいなら、一人よがりなモノづくりはできない。世の中には凄いモノをつくる人がいて、唯我独尊なモノづくりでも勝手に売れてしまうのだが、そんな人は稀である。傍から見るとそう見えるだけで計算ずくだったりもする。

私は商売でなく趣味の延長で量産モノをつくっている。生活に支障を来すほどの大赤字を出すわけにはいかないけど、これで飯を食ってるわけではないので売れなくても生活に困るわけではない。しかしたくさんの人に買って欲しい・認めて欲しい欲求は人並みにあるのである。

人がモノを買うときの決め手はなんだろう?機能・デザイン・価格・見栄など人それぞれだと思う。他の人が持っているからという理由も多いだろう。
低価格だけで勝負するモノづくりは小規模では難しい。今はたいていのモノが海外の安い労働力により大量安価につくられているからだ。身近なところではユニクロなどのファストファッションがある。私のような貧乏サラリーマンは衣料費が真っ先に削られてしまう。私自身も若い頃よりもこだわりが無くなり、普段着は楽ちんで悪目立ちしなければ何でも良くなってしまった。何も考えずにユニクロで買うことが多い。つまり価格を安くすれば売れるだろうというモノづくりではジリ貧になるのである。低価格だけでは広告宣伝力・ブランド力のある大手には勝てないからである。

小規模での量産モノづくりで勝負すべきことはなんだろう?第一は大量に売られてる製品との差別化だろう。大手ではできないニッチ(隙間)を狙うことだ。一部のマニアにしか売れないモノ、大量生産に向かない手の跡が求められるモノ、アイデア勝負で特徴のあるモノなど色々考えられる。また従来からあるモノの素材を変えたり、機能を追加したりすることも、ありそうでないモノだったりする。
例えば先日私がつくったランクル70用のドリンクホルダーもニッチ狙いと言える。ランクル70オーナーにしか売れないが他では売ってないモノである。採寸されて海外で安くつくられたら終わりだけど、パイが小さすぎるので真似されることはないだろう。

長年の鍛錬で陶芸や木工などの優れた技術をもつ職人はたくさんいる。しかし競合する普遍的なモノはなんでも売れるわけではない。手の跡を感じることができるモノを欲しがる人はたくさんいるけど、素人の目には良し悪しが分かりにくいのだ。売るためには視覚的な魅力や素材の良さを理解してもらう必要がある。
例えばキャンプ道具の一部を木材で製作したモノが売れている。機械加工でコストを抑えつつ、木材の手触りと木目の美しさがウケているのだろう。男子のカスタム欲も上手に煽っている。形態にもオリジナリティがある。ニッチ狙いだけどブームも後押しているのだろう。流行りや売るタイミングも重要である。流行りは操作できないが、鉄は熱いうちに打たなければならない。需要があるうちに売りに出す瞬発力も必要となる。

低価格で勝負はできないと書いたが、コストダウンを無視するのは難しい。作者の言い値で買ってもらえることなんて稀なのだ。モノにもよるが庶民でも無理なく買える価格が望ましい。モノには相場がある。相場以上の価格で売るためには説得できる特徴や魅力がなくてはならない。
コストと品質は相反する。ニッチなモノは需要も小さいので大量生産によるコストダウンは望めない。部品を選別して仕入れ値を下げたり、ロット数を調整したり、見隠れ部の工程を減らしたり、小さく地味なコストダウンの積み重ねである。これは設計製作者しか分からない苦労なのだ。
しかしコストダウンにより品質を下げすぎると見栄えが悪くなり耐久力も落ちてしまう。低価格では大手には敵わないのだから品質は負けないようにしたいところだ。マニアックな製品であるほど品質が求められる傾向がある。

偉そうに書いたけど実際に売れるかどうかなんて分からない。今はSNSがあり個人が簡単に情報発信できる。だから事前に需要をある程度探ることができる。私もインスタグラムがなければ量産する決断ができないだろう。なにしろ材料や部品を買う種銭だけでも結構な金額になるのである。大量に売れない在庫を抱えてしまうのは辛い。
売るためのモノづくりは人との繋がりだと思う。結局は信用が物を言う。買っていただいた実績を積み上げることで、自らのブランドが育っていくのだと思う。だから屋号を知ってもらうことも大事だと考える。覚えてもらいやすい屋号が有利になる。特に私世代以上の人は新しい名前が覚えられないのだ。私は地道にSNS投稿やステッカー配布などで宣伝するようにしている。

商売としてモノを売ると考え方も変わってくるのかもしれない。生活のかかった売れるモノありきのモノづくりが私にできるかどうか分からない。